23歳になりまして

23歳になりました

 

 

ということで忘れないうちに抱負でも書き留めておきます。

 

23歳の抱負は

 

①感謝

②自然体

③吸収

(④寄与精神)←この精神を少しずつ今のうちから身に付けたいので一応。。

 

です。

 

 

ここ2年くらいは、パッと見た時に

自分の中へすっと入ってくるように

三つの単語で抱負を表すようにしています。

(去年は、①謙虚②素直③努力 でした。)

 

 

22歳の時は、自分の人間力の成長を目標として三つの単語を選んだけれど

23歳では企業への勤めが入ってくる記念すべき一年目になるので、少しずつ外の世界に返していけたらいいなという気持ちで考えた3つの抱負。

 

①感謝

- 周りの人の支えがなければ今の自分はいない。人に生かされているという意識を忘れず、「ありがとう!」という気持ちをしっかりと表現する

 

②自然体

- 人や動物、自然などのすべての環境の中で、自分にとって一番楽な状態を探る。(「あ〜これが自然体な私だ」と認知する。究極、今の自分が自然体なんだけどその自分を第三視点で感じたい。)22歳の時は、私の自然体はこれだと定義しすぎてしまったせいで反って制限をかけてしまって生き辛かった。。

 

③吸収

- 来年からは地方で企業への勤め、そして一人暮らし。仕事の知識はもちろん、暮らしの知恵などその環境で吸えるものは全て吸う

- 異なる意見を素直に受け入れ、自分の視野を広める

 

(④寄与精神)

- (精神的余裕がないとできないので、難しい気はしているんだけど...)

小さくてもいいから外に返す習慣をつける。大事なのは、貰ったから返すのギブアンドテイク精神ではなくて、ギブギブギブ精神。(笑)

 

終わり

 

 

さあ23歳がんばるぞー、おー!

 

 

 

 

被災地・宮城の旅録⑮(南三陸)

2019/09/05 14:27

 

(南三陸)志津川

 



陸前階上駅からバスに乗り、志津川駅に向かった。
部活帰りの学生たちが乗り合わせていたので、汗の匂いがこもった車内の
バスに1時間ほど揺られ、到着。

17時半をすぎていたので、日が傾き出していた。






 

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(↑◯をつけたところが、立ち入りができなかったが津波を被った旧防災対策庁舎。
志津川駅周辺は10mの埋め立てをしたらしく、実際に庁舎を見ると、目線と同じくらいの高さだった。)

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(

↑右の眺望山からみた景色が↓)

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(↑震災前) (↓震災後。実際周辺には家は全くなく、僅かな飲食店があるくらい)

 

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(↑三陸商店街。訪れる人が観光客しか居ないため、あまり賑わっているとは感じなかった。そのためかお店をお休みしているところが多い…。開いていたのは、コンビニと100円ショップ、雑貨屋さん、接骨院くらい。それだけ人が来ないということなのかもしれない。)



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(↑真ん中に見えるのが献花台。この真っ暗な時間に1人で献花台にいくのは少し気が引けたけれど、手を合わせてきました。)




 

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綺麗な夕焼けとともに。
復興は進んでいるけれども、人が賑わって活気付いているという印象はなかった。多分住んでいた人たちはみんな外に出て行ってしまって、住む人もほぼ居ないという感じ。平日6時ごろの商店街でお店が4店舗しか空いていないという現実が、それを物語っているように感じた。

2019/09/05 14:35

 

(追記)
21.6mの津波志津川駅周辺を襲った。
あの駅周辺一帯に家が全くなかったのをみると、その規模の大きさに驚きと恐怖。


↑現在建設中。令和2年ごろから公開になるらしいので、その時には観光地として多くの人が訪れ、震災を知るきっかけになってほしいなと思う。

被災地・宮城の旅録⑭(復興公園)

2019/09/05 13:55

 (気仙沼)三陸復興国立公園



伝承館から歩いて20分、復興真最中のところを横目に向かった。

 

 

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(↑真ん中に立つのが、慰霊塔。いまは周りが建設で大忙しなので中に入れない、と言われた)

 

 

 

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(↑この大きな堤防づくりを横目に左側をずっとまっすぐ歩いて行った。)

 

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(↑復興公園)

 

 

 

 

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(↑津波が被さったにもかかわらず

壊れず今も立っているらしい)

 

 

 

 

 

 

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(↑「龍の松」


津波で多くの松がさらわれたらしいのですがこれだけ残ったそう。残された松が龍のように津波に立ち向かうように見える姿から、龍の松と呼ばれるようになったらしい。)

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(↑奥に見えるのが、気仙沼湾岸。水が透き通っていて綺麗な海

)


 

 

 

 

 

 

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(↑堤防を作ったりと復興に追われる海沿い)

 

 

 

 

被災地・宮城の旅録⑬(伝承館)

2019/09/05 13:36

 

 

 

(気仙沼)伝承館



 

中に入ると、まず当時の気仙沼津波状況ムービーを13分観る。津波がきたときの映像の中には周りに居合わせた人たちの声も同時に入っており、そのときの生々しい状況に恐怖から目を背けたくなるような映像だった。津波が街に流れ込み、家を流した後に、引き波で一気に海に引きずり込んでいく映像で自然の脅威を感じた。

ムービーのあと、向陽高校の遺構をみるという流れ。



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(↑目の前はゲートボール場を作っているらしい。)

 

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(↑3階まで完全に津波が来たことがわかる。4階の脛あたりまで浸水したという
。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(1階)

 

 

 

 

 

 

 

 

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(3階)

 

 

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(↑流れてきた重機にぶつかって

壊れたとみられる

)

 

(4階)

 

 

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(↑引き波の時に後者の間にひっかかり、くるまが宙ぶらりんの状態。車が三台折り重なっているのが見える。

私が訪れた昼過ぎ、遺構を回る人たちの8割が60代くらいの人たちだった。
震災での出来事を受け継ぎ、繰り返さないためにも、未来を担う若い人たちが見に来るきっかけをつくり、これからどうしていくべきなのかを考えることがいまの伝承館でのテーマであるように感じた。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

被災地・宮城の旅録⑫(陸前階上駅)

2019/09/05 12:58

 

13時半に陸前階上公民館前に到着し、その後、東日本大震災遺構・伝承館に向かいました。

その途中、陸前階上駅を通過したのですが、まさかの線路がない。地図上には路線があったので、勝手に電車が通っているものだと思い込んでいたので正直驚いた。

ここまで津波が到達して線路が使い物にならなくなってしまったからなのかな..と想像して、どき。

そのまま徒歩で、目的地に向かっている最中に早歩きで私を追い越していった50代ほどの女性がいたから、話を聞きたくて

目的地の場所がわかっているにも関わらず、「伝承館まではどう行けばいいんですかね...?」と声をかけた。

とてもご親切な方で、「散歩しているからちょうど良いわ」と、伝承館の目の前まで一緒にきてくれた。

 

スガワラさんという方で、後継娘をなさっているそう。しかし、本当は仙台に住みたくて堪らないのだとか。

「一人娘が故に自分がやらなければ、代々受け継がれてきたものが終わってしまうので仕方がない。でも本当はこんなところ出たいのよ、何もないし」といっていた。

バスからおりてずっと気になっていた、定期的に鳴る、花火が打ち上がる瞬間のような爆発音はなにかということをきくと、スズメが稲を食べるのを防ぐために60秒に一回のペースで音を鳴らしているそう。もうこの地域で昔からある手法なんだとか。スガワラさんも、小さい頃はこの音が怖くて、数えて稲穂畑を駆け抜けたらしい。今はうるせえとしか思わないみたいだけど。

 

また、電車が通っていると思っていた駅がバスだったことについて。震災を境に、電車からバスにかわったらしい。それは津波が原因ではなく、ただ利用者がほぼおらずJR側が赤字になってしまったからという理由。やはり、住人は車での移動が大半で、電車を利用していたのは、県外からの観光客と仙台に用がある人くらいらしい。私が16時半のバスを利用した際には部活帰り学生が8割で、ほぼ満席だったので需要があることはわかったが、電車を動かす必要はなさそうだった。

 


そして、印象的だったお話が二つ。

一つ目は、「震災前のこのあたりの景色が全く思い出せないのよ」という言葉。「ここの稲穂畑(津波がきた地域)は、震災前はどんな感じだったんですか?」と結構フランクに聞いてしまった。スガワラさんの言葉にどのような意味があるのかはその時、汲み取れなかったのですが、それ以上聞けなかった。ショック過ぎて記憶がなくなってしまったのかもしれないし、私に話したくないのかもしれないと思ったから。でも、そのあと、震災風景を撮っていた三陸新報のkさんという方とお話した際に、

「甚大な被害を受けたここにいる人ですら、当時のことを忘れていくのを感じる。だから、風化させないためにも写真を撮り続けているんだよ」といっていたのを聞いて、

「被害を受けた人たちですら、忘れていってしまうんだ」とスガワラさんの言葉の意味を理解できたように思う。

 

 

 

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(↑稲穂畑が広がる右側が浸水区域でお家は立てられないルール。逆に左側は浸水しなかったためお家がそのまま立っている。この右側の風景が思い出せないそう)

 

二つ目は、「何を再建しているのかもわからないし、大体復興が遅すぎるのよ。8年間毎日やっているのに、まだまだこれよ?」という言葉。なんだか、この復興の現状にスガワラさんは呆れているような印象を受けた。

再建場所の近くに住んでいるのに何をつくっているのかも把握していないのか、と思ったと同時にその再建計画の共有が地域内で行われていない可能性があるのかもしれないなと思った。

 

またkさんの話にもどるが、「国も県もこのような復興の取り組みがはじめてに等しいがために、地域の人と県や国とのすり合わせがうまくいっていない現状がある。お互いの意見を聞く前に行動にうつしてしまって、よく揉めているんだよ」といっていた。

そのあと実際に、工事をしていた方に聞くと、海沿い一帯に漁港をつくっているらしい。確かにパッと見た感じではまだ土台を整備している感じで、たしかに遅い印象。しかし、ここまで来るまでの過程を知らないので、一概にはいえないが。

 

 

 

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(↑漁港を作っているらしい)

 

三陸新報のkさんは、帰りの駅へ向かう道中であった20代後半くらいの男性の方。

遠目で写真を撮っているのが見えたので声をかけたところ、気づいてもらえず、近くまで行き声をかけた。

kさんは、地元が気仙沼らしく、震災をきっかけに三陸新報に就職することを決めたのだとか。それまでは気仙沼で教員をしていたらしく、震災発生直後は生徒の安否確認に追われたそう。

「人にものを教える仕事もとても楽しかったけれど、記録として残すことで今もこの未来でも誰かの役にたてるこの仕事はとてもやりがいがあるよ」と笑顔で話してくれた。

そして、私が東京から来たと伝えると、私のように観光で訪れる人がいることがとても幸せなことだと喜んでいた。

 

震災前は陸の孤島と言われるくらい外部からの人が来なかったらしく、震災をきっかけに足を運んでくれる人が増えたようだ。

 

「"震災をきっかけに"が少し複雑だけれど、気仙沼という土地を知ってくれることから本当の復興が始まる」

 

テレビで気仙沼の海鮮や風景をみて「あ、ここはいったところだ。」と思ってくれることから、まずは気仙沼という土地をしてもらうことから被災地の復興ははじまるのだと。

地域との繋がりができることで、そこの地域の問題が他人事ではなく自分ごとになる。また、そこの地域のことを周りに伝え、気仙沼という地を広めていくことが重要なのだと思う。

 

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(↑黒の部分から海側の風景写真を撮っていた熊谷さん。同じ位置からの震災直後の写真を見せてくれたが、津波で何もかも流され瓦礫が散らばっていた。ちなみに津波は私たちが立つ黒の部分よりも少し上まで来たらしい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

被災地・宮城の旅録⑩(バス内編)

 

2019/09/04 13:01

 

自分のことをまだまだ好きになれないから、私は自分のことを認められないのかな。切実な悩み。突然、メンヘラ。
どうやったら好きになれるんだろう、目標を立てて達成経験を積むこと?他人を自分の中に介入させずに自己決断を重ねていくこと?人に優しくして相手からありがとうと言われること?これは違う気がする。
という今の自分の全部受け入れればいいってなんだ。よく周りの大人の方々にサラッと言われる気がするんですけど、全然今の私には意味がわかりません…。




 

混沌としてきたのでなりたい人間像を考えます。

 


【自分のことを好きな人】


・自分の考えに自信を持てる


・他人の考えを取り入れられる


・年性別関係なく人に緊張感を与えずコミュニケーションがとれる


・夢を追いかけられる


・好きなことを好きと言える(new!)←(レディバードという映画を最近観たんですけど、今の自分のようでその日のうちに3回見ました。ダサいうと言われても、わたしはこれが好き、と言えるレディバードが本当にカッコよかった。)



 

逆になりたくない人間像も考える

 


【究極的に自分に自信がない人】


・自分を肯定するために、ほかのひとものを馬鹿にする人


・自分を肯定するために、意見を通そうとする人

・自分を肯定するために、その場の空気を自分で制しちゃう人、やりづらい雰囲気をつくる人